心に残る言葉  
11 地面の下に埋もれて 12 感度のいいアンテナを 13 自らをリニューアル 14 何よりほめること 15 価値観
 6 人間の持つエネルギー  7 先生ってしゃべり下手   8 同じ空間にいて  9 子供は一冊の本 10 良い母親
 1 生徒と同じ視線で  2 いろいろな発想は?  3 ひとつの資産   4 何が分からないの  5 なごむ言葉

心に留めておきたい言葉 新聞記事を読んで,心に留めておきたい言葉を拾ってみました。
 
 
(No.15)
価値観の多様化と言われるが,それはウソ
(作家 塩野 七生 氏)

 安穏とした時代が続くと価値観の多様化などと言われるが,それはウソ。そもそも価値なんて,たくさんあったら価値でなくなる。ソクラテスの時代から,価値といえば,それは『いかによく生きるか』,これしかない。−−文明を問う 2 讀賣新聞 02年01月04日)−−
 ローマ在住の作家,塩野七生氏が,讀賣新聞の「文明を問う」シリーズの中で,現代文明が岐路にさしかかっており,中世に戻る危険性があると述べています。上の言葉は,その中で述べられたものです。様々な教育問題が次から次へと湧きだし解決が難しいときに,ついつい口に出るのが,「価値観の多様化」という言葉。大辞林によると,価値は『物がもっている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。値打ち。有用性。』とあります。「価値観の多様化」ではなく,もののとらえ方,考え方の多様化と言った方がいいのかもしれません。価値を価値として見極めれば,もののとらえ方,考え方が多様化していようが,一つの価値に向かって解決の方法を探ることは可能です。様々な教育問題に対して,「価値観の多様化」で逃げないよう,解決策を探りたいと思います。
 
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(No.14)
何よりほめること     二宮清純 さん
(スポーツライター)

 ともすれば日本の指導者は、ここを直せというようにせっかくの個性を盆栽のように刈り取ってしまい、枯れ木にしてしまう傾向が強いが、何か長所を見つけて、お前はすごいとほめまくることが、その人を伸ばす秘訣。−−全国連合小学校長会のシンポジウムで(10月20日)−−
 
 スポーツライターの二宮清純さんが、10月20日に愛媛県県民文化会館で開かれた全国連合小学校長会のシンポジウムで、シドニーオリンピックのマラソンで金メダルをとった高橋尚子選手の監督をした小出義雄さんの指導方法を引き合いに出して話した言葉です。
 基礎技術が身に付いていない段階であれば、これまでの優秀な技術を持った人をモデルとして「まねをさせる」ことから始まり、その人の能力にあったパターンを見いださせる必要があるでしょうが、ある程度の技術が身に付いた段階からは、パターン化する(型にはめてしまう)ことによって、成長は止まってしまいます。基礎技術が身に付いている選手にとって一番欲しいのは、自信です。ほめることが選手の心を豊かにし、ゆとりを生み、挑戦意欲をかき立てます。
 子どもたちへの指導でも同様で、細かい技術をあれこれとアドバイスしたり、否定的な言葉をかけたりするのではなく、「あなたがいたからこれが出来た」とか「良いアイデアだ」などと、ほめ言葉をかけることによって、自信を持つようになると思います。
 
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(No.13)
自らをリニューアル    ボブ・カルビンさん
(米・モトローラ元会長)

 私にとっては博物館は過去を懐かしむためのものではない。過去70年の間に、いかに技術が大きな変化を遂げ、多くの競争者が姿を消したか。リニューアル(変革)を拒めばどうなるか。博物館は過去を通じて語る「逆説」なのだ。
 企業の生命線は自らをリニューアルする意志である。今でも博物館に足を踏み入れると、身の引き締まる思いがする。
−−私の履歴書  日本経済新聞(6月7日)−−
 
 ボブさんの父親が、何度も会社経営に失敗した上で、カーラジオに目を付け、設立したのが「モトローラ」です。町工場から出発し、時代の流れを読みながら中心となる商品を開発し、大企業にまで成長させました。
 ボブさんは、学生のころから、父親について商品の売り込みのために各地を旅をし、会社経営の在り方を学びました。そんな中で、売り上げが伸びたからといって特定の商品にしがみついていたら、いずれはすたり、取り残されてしまうということを学びました。会社経営が傾くのは、リニューアルをしないからだと、ボブさんは言っています。
 「学校教育が制度疲労をしているのではないか」、「教育改革をしなければ」などと、言われながら、必ずしも順調に教育改革が進んでいるように思えません。特色ある学校づくりを……と思い、いざ取り組もうとすれば、そこに立ちはだかるのが、「金」「人材」「時間」など、多くあります。教員の意識、保護者の意識、地域社会の意識も、時には大きな壁となります。
 いま出せるのは知恵、知恵を絞り出して、意識改革を図ることによって学校教育のリニューアルをしなければと思うこのごろです。そのためには、まず、自分をリニューアルする事が必要なんですね。
 
(No.12)
感度のいいアンテナを  鈴木 勝久さん
(名古屋市助役)

 これまで役所のルールに沿って信念を持ってやってきたが、実際に藤前干潟の問題を、外の動きが激しいことを学んだ。感度のいいアンテナを持たないといけない。職員一丸となって、いいアンテナを持っていたい。−−記者会見で(中日新聞 5月23日)−−
 

 2000年5月24日付で、新しく名古屋市助役となる鈴木勝久(59−環境局長)さんが、就任するに当たって記者会見で述べた言葉です。
 変化の大きい現代社会で、学校は、相変わらずこれまでの慣習を重視したがるように思います。時の流れを敏感に受け止め、流れに押し流されないためには、慣習にとらわれず、改革すべきところは改革をしなければならないと思います。そのためには、アンテナを高く、感度のいいアンテナが必要です。
 特色ある学校づくりを行うためにも、よその学校がやっていないからとか、あの学校がやっているからとか、周りに追随するのではなく、子どもたちにとって、何が必要なのかを基準にできる学校経営を目指したいものです。感度のいいアンテナを持ちましょう。
 
 
(No.11)
地面の下に埋もれて         星野 哲郎さん
(作 詞 家)

 現代はいい歌がない。演歌がだめになったと人は簡単に言うけれど、ちゃんとあるんだ。みんなが掘り出してくれないだけでね。いい歌や実力のある歌手は地面の下に埋もれているものなんです。それがポカッと育って芽を出す。演歌というのはタケノコのようなものなんです。(わたしの生き方 星野哲郎−−/毎日新聞 4月25日より)
 

 「秘めたる可能性を伸ばす」と、口では言いながらも、子供の良さを見つけたり、可能性を伸ばしたりするのは難しいものです。「基本的生活習慣を身に付けさせる」という美名の元に、子供の個性を型にはめてしまう教育が横行しているというと過言でしょうか。いわゆる良い学校に入れるために塾通いを無理強いしたり、勉強!勉強!と追い立てたりする親が多いのも、現実によく見掛けます。
 大人のエゴを子供に押しつけ、可能性の芽をつみ取っている現実はないでしょうか?、「大切に守り、大きくする」ことが、『育む』の意味。地面の下に埋もれているタケノコを育てるためには、大切に守ることは何であるのか。芽を出すまでに、地面を踏み固めてしまわないようにすることが大切なことかと思います。
 
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(No.10)
良い母親         園田 高弘さん
(ピアニスト)

 母は教職で忙しかったにもかかわらず、父が友人や同郷の人を家へ招いても、文句一つ言わずに応対した。僕の音楽に関しても、絶対に口を挟まなかった。デビュー後の演奏会も微笑を絶やさず喜んで聴き、ついに一言の批判も漏らさず、「体を大事にしなさい」としか言わなかった。
 最近の母親たちがいっぱい、うるさいことを言うのを聞くにつけ、僕は本当によい母親に恵まれたと思う。
(私の履歴書−−楽団デビュー/日本経済新聞 2月11日より)
 

 子どもの自立とは、自分で考え、自分の責任で行動できるようにすることだと思います。子どもの自立の芽を摘んでいるのは、案外、周りにいる大人ではないでしょうか。
 「あれはいけません」「こうしなさい」「きっとこうなるからやめなさい」「大人の言うことは間違いないから……」「あなたのためを思って言っているんですよ」などなど。伸びようとする芽を次から次へと摘んでしまい、気がついたら、伸びる芽が一つもなくなっていたということはないでしょうか?
 例えだめだと分かっていたとしても、「なぜだめなのか」をストレートに言ってしまうのではなく、子どもの考えを引き出しながら、「なぜだめなのか」に気づかせることが必要のように思います。自分や他人の『命と心』を傷つけるような緊急を要することには、ストレートに言うことも必要ですが、その場合も、必ずその後のアフターケアで、ストレートな言い方をしなければならなかった理由を理解させたいと思います。
 子どもへの気配りは常にしなければ成りませんが、「案じて、語らず」ということが、子どもの自立には、もっともっと必要なのではないでしょうか。

【参考】classic NEWS(園田高弘) 
 
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(No.9)
子供は一冊の本        松原 泰道さん
(南無の会会長)

 中日新聞(1月23日)の「人生のページ=ともしび」欄の『人生の味』で、松原泰道さんがお茶の水女子大学名誉教授の故周郷博先生の著書<母と子の詩集>(国土社刊)から、次のような詩を引用し、紹介してみえます。まずは、詩を読んでみてください。
 

      子どもは一冊の本である
      その本から
      われわれは何かを読みとり
      その本に
      われわれは
      何かを書き込んで
      いかねばならぬ
  
             (ウィーンの幼稚園の壁に書かれてあったもの)
 

 松原さんは、次のように述べています。

 子どもが成長して泣かなくなると、親はともすると、「子どもという名の本」を誤読しがちになります。…………。子どもは、「読みごたえのある本」です。………、熟読してもなかなか理解できないのが、子どもという名の本です。掲出の詩は、この名の本に、「われわれは 何かを書き込んでいかねばならぬ」と示唆を与えます。

 一人ひとりの子どもという名の本に、何が書かれているのでしょうか? それぞれの子どもという本に書かれていることは、全く違うはずなのに、同じことが書かれていると思いこみ、そこへ書き込む言葉も同じものしか書き込まない。こんなことがあるのではないでしょうか? 
 子どもという名の本は、文字が書かれていません。それをどうやって読み、理解したやればいいのでしょうか? 子どもの心を読むことがとても上手な先生がいました。顔の様子やしぐさ、姿勢に心が表れると言います。それができないなら、せめて、簡単な日記を書かせればよいと、その先生は言いました。いつかは日記に本音が出ると………。そして、必ず、先生の思いを書き込んでやることが必要だと………。

【参考】南無の会なごや 別府南無の会  はかた南無の会  松原泰道さん著書の紹介
     南無の会会長・龍源寺住職/松原泰道さん
 
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(No.8)
同じ空間にいて     イチロー(鈴木一朗)さん
(プロ野球オリックス)

 話すリズムとか価値観とか同じ空間にいてここちよく感じた。親を大事にしてくれそうだった。他人に『結婚っていいよ』と言える家庭を築きたい。−−元TBSアナウンサーの福島弓子さんとの結婚会見で (12月5日)−−
 
 パ・リーグで6年間連続首位打者となったオリックスのイチロー選手が、1999年12月にロサンゼルスで電撃的な結婚式を挙げました。日本に帰った12月5日の結婚会見でのイチロー選手の言葉です。
 関わりのある人と人とが存在する空間は、居心地のよい空間であればよい人間関係が生まれます。家庭においても、学校においても、その空間が「心の居場所」となるようなものであれば、心豊かな子どもに育っていくことと思います。家庭においては親が、学校においては先生が、子どもにとって家庭が、学校が居心地のよい空間となるように心がける必要があるように思います。
 
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(No.7)
先生ってしゃべり下手  木村 政雄さん
(吉本興業常務取締役)

 最近、中学校の授業参観に出たけど、全然面白くない。歴史の授業だったけど、「先生ってしゃべり下手やな」と思った。うちのタレントが先生をやったら、もっとよう伝わるはず。
 今までの時代というのは情報を独占している人が偉かった。しかし、情報化時代が来て、情報が公平にいきわたると、偉い人が偉い人であり続けることはできません。大事なことは、情報の伝わり方がインフォメーション型からコミュニケーション型になって、双方向型になっていること。
 そうすると自分の意見を持たないといけないし、物を伝える能力を持つ必要がある。プレゼンテーション能力というのがものすごく必要になる。−−特集ワイド「戦略練る常務 木村政雄さんに聞く」−−(毎日新聞 11月4日)
 

 教職に就いたばかりのころ、ある先輩は「落語を聞け」「漫才を聞け」と盛んに薦めてくれました。ある先輩は、ネオン街へ連れだし、酒の飲み方を教えてくれました。酒の飲み方とは、スナックのママや居酒屋の女将さんから「話術を学べ」ということです。
 落語や漫才にしても、スナックのママや居酒屋の女将さんにしても、人を引きつけるものがなければ、二度と聞いてもらえないし、二度と店に来てくれません。
 その先輩は、『商い』とは『客をあきさせない』ことであり、だから「あきないというんだ」というのが口癖でした。
 自分の専門としている教科を教えていると、子供たちはよく、「この教科は面白くない」と言いました。専門でない教科の方が面白いというのです。専門の教科は真剣すぎて、間がなかったからだと思います。専門でない教科は、いわゆる脱線の話があり、この脱線の話が、子どもの興味を引きつけたようです。
 大村さんの言うように、先生はおしゃべり上手にならなければ、引きつける授業はできないように思います。漫才や落語を授業でやれと言っているのではありません。スナックのママや居酒屋の女将さんが、話題の違う客との会話がとぎれないようにするコツにヒントがあるように思います。
 
 
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(No.6)
人間の持つエネルギー  櫻井 よしこ さん
(ジャーナリスト)

 高校生のころ、事情があって父親に反抗しました。吸い方も知らないのに、たばこを口にしてみたり。その時、母に言われたんです。「1日は24時間しかないし、人間の持っているエネルギーはだいたい同じだけしかないのよ。くやしい、つらい気持ちがあっても、自分のエネルギーは前向きに使いなさい。どんな人も幸せになる権利があるのよ。あなたは周囲を責めるより自分をもっと充実させなさい」と。あの言葉が、私の生き方を決めたのかもしれません。−−時の贈り物(朝日新聞夕刊 10月29日)−−
 

 17歳。周りにあるすべてのものに矛盾を感じ、その矛盾は、周りの者のせいであると思いこんでいました。心は常にイライラで満たされており、大人や社会に対する不平や不満が、精神状態を不安定にしていたように思います。正義が通らず、ウソがまかりとおる社会に敵がい心さえ抱いていました。
 17歳のころの社会と、今の社会とを比べてみると、政治にしろ、経済にしろ、究極は何も変化していないように思います。矛盾や不正義に対しての不平・不満は、今でも強く抱きますが、対処の仕方はずいぶんと変わってきました。自分の力ではどうしようもないことには、無視という、一面卑怯な方法も覚えました。改善できそうだと思えば、まず、自分の力を蓄え、蓄えたところでエネルギーを全開する方法をとっています。
 ただ、櫻井さんの母親の言う、「周囲を責めるより」という部分では、相手をやりこめてしまうことがあるので、「自分をもっと充実させる」方法を身に付けなければと、反省しました。相手を傷つけず、だれもが不幸にならないように、気付いたら『改善・改革がされていた』というような「自分をもっと充実させる」ためのエネルギーの使い方を考えてみたいと思います。
 
 
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(No.5)
なごむ言葉       大村 はま さん
(日本国語教育学会理事)

 まわって行って、「何をしていますか」と聞いても、進行係が、なんかちょっとためらっていて、すらっと話し出さない。どのグループに行っても、なにか少し、ドキッとした様子が見える。静かに、穏やかに声をかけているつもりなのに、どうもどこか不自然である。私は、ふと気がついた。「何をしているか」というのは、していることがよくない時のことばであった。……………………。
 「何をしているところですか」
これは絶対しかることばではない。口の中で、何度も言っているうちに、ふと「いま」が出てきた。
 「いま、何をしているところですか」
    『はい、いま、計画の三番目のここです』
と、すらっとことばが返ってきた。
 ほんのひとことなのに、こんな心づかい、言葉づかいが,一挙に変えた教室の雰囲気をかみしめながら、ほっとした。−−ふれあい ほんのひと言(悠 ’99 11月号)より−−
 

 学校でも家庭でも、禁止する言葉や指示する言葉が子供たちに、よく投げ掛けられる。 「早く起きなさい」「さっさと食事をすませなさい」「忘れ物はないだろうね」「廊下を走ってはいけません」「よそ見をしないで」「真剣に聞きなさい」「宿題はやったの」「明日の準備をしてから寝なさい」………起きてから寝るまで、子供が自分で考えて行動することが出来ないほどの指示、命令が続きます。
 大村先生の言う、「何をしていますか」の言葉は、「何をしているんだ! 早く起きなさい」「何をしているんだ! さっさと食事をすませなさい」に通じます。「何をしているんですか」は、子供の状態に対し、非難をするときの言葉です。
 「何をしているか」という、非難につながる言葉で問いかけがされれば、子供が身構えるのは当然なことと言えます。「何をしているところですか」という、現在の様子を尋ねる言葉であれば、子供は、「はい、○○をしているところです」と素直に答えることが出来るでしょう。
 子供が考えようとしない、子供が積極的に授業に参加しない、子供が言うことを聞き入れない、と嘆く前に、子供が身構えなくてもよいような言葉を、私たちが探し出す必要があるようですね。
 
 
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(No.4)
何が分からないの  ヤンソン 柳沢 由実子 さん
(評論家・翻訳家)

 子育て中は文化の違いを感じました。息子がまだ日本で小学生のころ「落ち着きがない」と言われ、私は仕事を半分に減らして、勉強を見ました。「こんなこと分からないの」と、頭ごなしにしかったりして。ヤンソンは決してしからず、怒らず、息子に「何が分からないの」と友達のように話しかけていました。
 日本では、親が子どもを頭ごなしにしかるのは失礼、という考えはあまりないのではないでしょうか。子どもの人格を無視していたことに気づき、ショックでした。子どもは大人一人のエネルギーを全部向けられては迷惑なんですよ。−−家族のこと話そう(中日新聞10月8日)より−−
 

 ヤンソン・柳沢さんは、1943年生まれで、女性文学の翻訳や内外の女性事情について著述、評論、講演などで活躍されている方です。(中日新聞より)
 『子育て中は文化の違いを感じました』という文は、ヤンソン・柳沢さんは国際結婚で、夫がスウェーデンであるということから書かれたものです。
 頭ごなしに子どもをしかる…………何だか、日本のどこの家庭にも見かけられるような風景ではないでしょうか? 学校でも、頭ごなしにしかっていらっしゃる方を、時々見かけます。私自身も、ついほんのこの前まで、頭ごなしに子どもをしかってきたような気がします。
 子どもだけでなく大人も含めて人間は、「気づき」がなければ、改善したり進歩したりすることはないように思います。「同じことを何度注意しても、少しも改まらない」……このようなぼやきが、耳によく入ります。(自分のことを棚に上げての話ですが)他の人が子どもを注意しているのを聞いていると、戻ることのできない過去の失敗を責めているだけのことが多いようです。(新聞記事のほとんどに同様なことがいえますが………)
 なぜ、こうなってしまったのかという原因を子どもが理解しない限り、同じことの繰り返しも起こりうるのは当然のように思います。経験の少ない子どもにとって、「分からないことが分からない」ということが多くあります。ヤンソンさんのように、「何が分からないの」という問いかけで、子どもは思考を働かせます。そして、なぜ失敗したのかに、気づきます。この「気づき」によって、なぜやってはいけないのか、どうすればよいのかが理解でき、同様な失敗をしなくなるのです。
 子どもを頭ごなしにしかっても、子どもの進歩はないと思います。お父さん、お母さん、そして先生。まず子どもの心を開いてやってください。「ダメ」「ヤメロ」と禁止の連続や、「オソイ」「イソゲ」とせき立てないでください。
 
 
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(No.3)
ひとつの資産      故 盛田 昭夫 氏
(ソニー創業者)

 その人が、どの大学で何を勉強してきたかは、あくまでもその人が身につけたひとつの資産であって、その資産をどのように使いこなして、どれだけ社会に貢献するかは、それ以後の本人の努力によるものであり、その度合いと実績とによって、その人の評価が決められるべきである。−−盛田昭夫著「学歴無用論」から引用 中日新聞(10月4日)−−
 

 戦後の教育は、知識偏重の傾向があり、学歴がものを言う「学歴社会」であったといわれます。2002年度から始まる新学習指導要領は、この学歴社会から脱却するために、「生きる力」を重視した内容に変わります。
 一流大学を出たことで、その人に価値が生まれるのではなく、学んだという一つの財産を使って、社会に貢献することによって、価値として評価されます。
 盛田氏のこれらの考え方は、中央教育審議会の答申にも反映され、新学習指導要領のバックボーン的な要素となっています。
 2002年から実施される新学習指導要領は、知識偏重の「学歴社会」から、「生きる力」を育てる教育への大転換です。この改革が成功すれば、盛田氏の人物主義の考えが、日本を変えていく力となることでしょう。
 
 
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(No.2)
いろいろな発想は?  有田 和正 氏
(元愛知教育大学教授)

 大名行列の絵を使ってさまざまなことを発見する授業をしますと、一番おもしろいのは小学生。いろいろな発想が出てきます。ところが中学になると、本で調べることに一生懸命になり、考えることをしなくなる。今までの知識を総動員して対応しようとしても、知識がなかったら何も言えなくなってしまう。 −−週刊教育資料(9月27日)潮流より−−
 

 小学校でも、高学年になるにしたがって、挙手をしなくなるということをよく聞きます。中学3年生で挙手をして発言する生徒は、ごくまれです。
 「自分の考えに自信がない」「発言をして、いい子ぶっているとひやかされる」「内申書の点数稼ぎと、ひやかされる」「ユニークな発言をすると、授業が遅れると言って、先生から無視をされる」「考える時間をとってくれない」………。これは、10数年前に、中学3年生に『なぜ発言をしないか?』という質問をしたときの、生徒の答えの一部です。
 幼児期や小学校の低学年のうちは、見るもの聞くものが新鮮でめずらしく、「知りたい」「見てみたい」「触ってみたい」という好奇心が、おもしろい発想を生むことも確かです。高学年になり、中学生になると、今までに経験したことと大きな違いに出くわすことはまれになってしまいます。新鮮さもなく、感動もなければ、好奇心もわかなくなります。
 指導の面ではどうでしょうか? 先に書いた生徒の答えのように、先生の無視、考える時間を確保しない、といったことが、考えることをしなくなる原因とは考えられないでしょうか?知的好奇心を持たせることのできるような授業、考えることができる時間の確保、自由に発言できる雰囲気づくりなどを工夫することも大事なような気がします。
 
 
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(No.1)
生徒と同じ視線で  荻野 アンナ さん
(作家・慶応大学文学部助教授)

  教壇の上からではなく、生徒と同じ視線でものを見て、語りかける。日本史の授業も、生徒とともに歴史を考えるものでした。藤色のすてきなワンピースを着こなし、女性としてもあこがれましたね。−読売新聞(9月27日)「あるばむ 私の先生」より−
 

 この言葉は、荻野さんがフェリス女学院時代の、菊池敏子先生について述べたものです。
 ハイハイしかできない赤ん坊の見える世界と、身長が170センチの大人が見る世界は、大きな違いがあることはよく分かります。まだ未経験なことが多い児童や生徒が見える世界と、ある程度の経験をしている先生や親が見える世界は、やはり、大きな違いがあることでしょう。「なぜ、こんなことができないの」「どうして、こんなことをやるの」「積極性がない」「やる気がない」など、大人が子どもを見る目は、上から見ることが多いようです。何でもできれば、学校はいらない。興味があれば、やる気は出る。できないこと、知らないことを、できるようにする、知らしめることに教育の意義があるのではないでしょうか? 
 児童や生徒と同じ視線で見ていると自負している先生や親が、児童や生徒と同じ土俵に立って行動をしてしまっているという例を多く見かけます。これでは、同じ視線で見ているとは言い難い。ハイハイしている赤ん坊の見える世界を見て、その世界の中で赤ん坊をどう育てるかを考えなければいけないと思います。大人にとっては小さなものでも、児童や生徒にとっては、とてつもなく大きく見えているかもしれません。
 児童や生徒と同じ視線でものを見て、大人の視線でものを考え、児童や生徒と同じ視線に戻って接すれば、「ああしなさい」「こうしなさい」「やめなさい」「早く、早く」などの言葉はかけられないと思うのですが…………?
 
 
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◆心に留めておきたい言葉 
 
<14>子どもたちはもともと夢を持つ本能が……

 ぼくは,ほとんど世界中を回り,多くの子どもたちを見てきましたが,日本の少年たちに一番夢がなく,暗いと感じました。経済は世界トップクラスなのに何か欠けている。それが子どもたちに反映しているのでしょうか。受験戦争が背景の一つであることは確かです。子どもたちは,もともと夢を持つ本能があるのです。それを手助けするのは大人の務めです。(中日新聞−01/08/16−ハリウッドの伝言 夢に向かって ショー・コスギさん)
<13>集団を率いるには……

 私はこのとき、生まれて初めて自分を実践運動のリーダーとして意識した。自分がリーダーであらねばならないとすれば、わがままな一匹狼であった今までの生き方を反省しなければならない。集団を率いるにはやはり熱意、誠実さ、忍耐、思いやりなど徳が必要である。(日本経済新聞−01/05/21−私の履歴書 梅原猛さん)
<12>通貨に替えないと……

 「蓄えただけの知識はただの貯金通帳。通貨に替えないと通用しないんです。」
 「メディアとは文字か、音声か、映像だと思っていたが、『もの』自体がすごいメディアだと感じた」(毎日新聞-01/01/23-21世紀 東海の100人→元三重県立博物館長・田畑美穂さん)
<11>教育とは、層を積み重ねるように学ぶこと……

 教育とは、層を積み重ねるように学ぶことだ。人間はすべて自分で発明できない以上、最初にまねの仕方を覚えなければならない。二番目にいかに学ぶかを学ぶ。次に、いかに生き、決めるかを学び、さらに自分がどうあるべきかの学習に進む。そして最後に、どのようになるかという啓発的でよりダイナミックな段階にいたる。(讀賣新聞−01/01/03−世界5大学長クーロンベルク座談会→フランコ・イモダ・グレゴリアン大学長<バチカン>←) 
<10>希望は、夢があるからこそ……

 希望は、夢があるからこそわき起こる。
(日本経済新聞−01/01/01−私の履歴書→樋口廣太郎・アサヒビール名誉会長←)
<9>言葉の単純化が、人の心も単純に……

 言葉は生き物だから変化するのは当然で、古き良き表現が必ずしも美しいとは思わない。が、表現がどんどん単純化するのは心配だ。「ボキャブラリーが貧困になり、言葉が単純化すると人の心も単純になっていくのではないでしょうか」言葉の短絡は、心の短絡につながりかねない。(讀賣新聞−00/11/11−21世紀をどう踏み出すか=第25回言葉の乱れ→大石静さん←)
<8>同じ目線に立つのが大切……

 ドキュメンタリー撮影で訪れたベトナムでは、子どもたちに楽器演奏を教えた。子供と接して実感したのは、「『先生』だからと高みに登るのではなく、同じ目線に立つのが大切だということ」だった。(讀賣新聞−00/10/30−ALBUM私の先生→大江千里さん←)
<7>『生きていて良かった』と思う瞬間のために……

 人間はいつか来る『生きていて良かった』と思う瞬間のために生きているわけでしょう。ところが、こういう素朴で大切なことを自覚している人が少なすぎる。学校の先生もそう。(朝日新聞−00/10/15−ひと→みなみらんぼうが武蔵野市の教育委員に←)
<6>通いたい学校とは……

 教育現場からの「私が生徒であったとして、また教師であったとして、通いたい学校とは」といった問いかけを引き出す努力がまずなされるべきではないか。

<5>「教育」とは……

 「教育」とは字の如く「教える」と「育てる」の2つの意味を含んでいます。「生きる力」をつけるとは、いかに育てるかであって、いかに教えるかではありません。(中日新聞−00/10/02−教育について思うこと)
<4>『朝の読書』が支持を受ける秘密……

 『朝の読書』がほとんどの生徒たちに支持を受ける秘密は……*みんなでやる(学校全体で、先生も)*毎日やる(10分間だが毎日続ける)*好きな本でよい(読む本は自分で選ぶ)*ただ読むだけ(本を読むこと以外何も求めない)−−理念はこれだけ(中日新聞−00/10/05−中日春秋)
<3>IT革命は……

 「パソコンによる差別化」を研究テーマに参加した人は、IT革命は明治初期に「読み書き」ができるかどうかが、生活レベルのかぎであったことに匹敵するのではと、分析しています。(中日新聞−00/10/01−元気に向老学)
<2>若者の食事を見れば……

 食の国フランスには、こんなことばがある。<若者の食事を見れば、その国の未来が分かる>(朝日新聞−00/10/01−天声人語)
<1>口先だけの言葉では……

 口先だけの言葉ではいけない。「心からほめ・叱る」。それから「おだてず“ほめ”、怒らないで“叱る”」(中日新聞−00/10/01−中日春秋)
 
 
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