ベトナム人の姓は二百種類
ある晴れた日、サイゴンの日本大使館で現地職員を採用する試験を行った。
ふと見ると応募者の中に尊 室昇(トン タット タン)という名前がある。
一八○二年から始まった阮朝の皇帝の直系以外の皇族は、男性が「尊室(トン タット)」、女性が「尊 女(トン ヌー)」を名乗るということを知っていたため、皇族の流れをくむ者だと気付き、聞いてみると、彼は顔を輝かせ誇らしげに答えた。
「そうです。私は彊柢(クオンデ)侯の末裔です」
疆柢侯とは阮朝の創始者、嘉隆帝の皇太子、景(カイン)の四代目後の人で、仏からの独立を夢見て訪日し、日本人有志から生活援助を受けたものの、日本政府からは援助を受けられず、一九五一年、志半ばで六十九歳で逝去した人である。
同侯が突然姿を消したので、妃は子供を抱き毎日城門に立って同侯の帰りを待ち続けた。
その頃王宮の池にヒヤシンスのような紫の花をつけた浮き草が無数に浮かんだ。
人々は妃の心情を憐れみ、その花を「日本の花(ホア ニャット)」と呼んだ(現在、ベトナム北部でも ”日本の花 ”と呼ばれている)。
タンさんはプライドの高いベトナム人の中でも特にプライドが高く、他のベトナム人職員としばしばトラブルを起こしたので、しばらくしてクビになった。
さて、一般のベトナム人の姓名はどうようになっているのだろうか。
昔はベトナムでは戸籍は必要ではなかった。このため子供が産まれても、両親は急いで名前を付ける必要はなく、また、悪魔が嫉妬して災いをもたらさないように、子供が小さい頃は蟹、蛙、犬、おでき、チビなど、故意に汚い名前で呼ぶのが常だった(この点は現在も同様)。
物心がつく頃、必要にせまられれば正式の名前をつけることになる。
ベトナムは母系社会から父系社会になったため、全ての子供は男女を問わず父の姓を名乗らなければならず、また父の姓が連綿と子孫に受け継がれていくのは、我が国と同じである。しかし、女性は結婚しても中国、韓国と同様、姓を変えない。一族同士が結婚することを避けるためである(同姓不婚)。
■姓について
ベトナムの姓は限られており、安、欧、白、裴、高、恭、葉、陽、潭、丁、段、杜、何、黄、胡、孔、曲、羅、林、黎、玲、陸、梁、劉、李、莫、梅、厳、呉、阮、魏、笵、潘、馮、郭、謝、石、泰、申、褻、荘、陳、趙、鄭、張、徐、武、王、汪など正確な数字は 不明であるが、約二○○種類と言われている。
ベトナムには電話帳がないので、どの姓が多いか統計は取れないが、過去の皇帝の姓を自分の姓にしているのが多いように思われる。試しに「ベトナム偉人辞典」に掲載されている人名を調べてみると、やはり圧倒的に多いのは阮王朝の「阮(グエン)」、続いて黎王朝の「黎(レー)」、陳王朝の「陳(チャン)」、李王朝の「李(リー)」のほか「笵(ファム)」や「潘(ファン)」も比較的多い。
ちなみに朝鮮の場合、姓は二百数十あり、金、李、朴が姓の一、二、三位を占め、中国では張、王、李、劉、趙が姓の上位を占める(『歴史の交差路にて』講談社文庫)。
■姓と名の間の字
ベトナムで不思議に思ったのは姓と個人の名前の間に一字あることであった。
男性では文(ヴァン)とか廷(ディン)が多いが、その他に輝、友、国、伯、春、唯、爵などがある。
例えば、Vo Van Kiet(ヴォー ヴァン キエット)(武文傑)首相の名前をみると、武は姓、傑は個人名ということはわかる。
余談になるが「武」の発音は北部ではヴー、南部ではヴォーで、名前を見ただけで同首相が南部出身者であることが分かる。「黄」も同様で、北部ではホアン、南部ではフインである。
しかし、「文」はどういう意味があるのだろう。
ベトナムの友達に聞いても「間にある名前だ」とか「挟まれた字」とか言い、はっきりしない。どうも男女の区別をする役割と枝姓と兄弟の間で上下を明確にするもの、の三種類の意味があるようだ。
維、廷、嘉、輝、有、進、文、春などは男性を示すもの、あるいは枝姓をあらわすもの(例:Pham duy[笵維])の duy は Pham の枝姓)とされている。
また、兄弟の上下を表すものとして、二人兄弟の場合は順番に孟(または伯)、重の字を用い、三人兄弟の場合は孟、重、貴の字を用い、四人兄弟の場合は孟(または伯)、重、促、貴を用いる。
女性の場合、姓と名前の間に用いられるのは「氏(ティ)」のみである。
■個人名
意味がある字であれば、どのような字でも個人名として用いることができる。
しかしながら、男性には雄、勇、強、盛など強そうで発展性のある字や、孝、忠、義、正、善、直などの徳性を示す字がよく使われる。
反対に、女性は梅、蘭、菊などの花や樹木の美しい名前が用いられ、また恵、雅、整、貞、淑など女性としての徳性を表す字が用いられる。
また、子、丑、寅など生まれた年の十二支(ちなみにベトナムでは牛は水牛、兎は猫、羊は山羊、猪(いのしし)は豚で、日本の十二支とは多少違う)や富(フート)、福(フック・イエン)などの生まれた地名一字を名前とすることもある。
■改姓
昔は、クーデターによって王朝が倒されると、旧王朝に連なる者はすべて改姓し、罪を逃れるのに必死であった。事実、陳守度が李朝を倒した時には、李朝に連なるものは全て殺害するとともに、後世の人々が李朝を思い起こさないよう、李を姓とする者はすべて阮姓に替えさせた。
また、「科挙」の試験を受ける際、三代までの先祖の経歴が調査されるが、罪人が身内に居る場合には受験出来ないため、母の姓に改姓した。
更に、功績により皇帝から姓を賜ることがある。例えば、陳朝時代の阮詮は昔の中国の韓愈と同じように文章に優れていたので、皇帝より韓の姓を賜り韓詮と改姓したほか、黎朝の重臣である阮薦は、功績により黎太祖より黎姓を賜り、以後「黎薦」と改姓した。
現在では改姓は養子になったときのみ認められ、養父の姓を名乗ることとなる。